「ちひろの生まれた家」記念館

いわさきちひろと母文江
いわさきちひろと母文江
いわさきちひろ 近影いわさきちひろ 1973年4月
いわさきちひろ(1918~1974)
日本を代表する絵本画家、いわさきちひろは、母、岩崎文江の赴任先であった福井県武生市(現・越前市)に生まれ、東京で育ちました。14歳で岡田三郎助に師事し、デッサンと油絵の勉強を始め、また東京府立第六高等女学校を卒業後は藤原行成流の書を学びました。その後再び絵を描き、中谷泰、丸木俊に師事します。
1946年(昭和21年)、日本共産党に入党すると、そこで松本善明と知り合い1950年(昭和25年)に結婚、翌年に長男の猛を出産します。この頃より絵本画家として活動するようになりました。
代表作に『おふろでちゃぷちゃぷ』(童心社)、『あめのひのおるすばん』『ことりのくるひ』(至光社)、『戦火のなかの子どもたち』(岩崎書店)、画集に『ちひろBOX』『ちひろ 花の画集』(講談社)などがあります。また、1950年(昭和25年)の文部大臣賞をはじめ、小学館絵画賞(1956年/昭和31年)、サンケイ児童出版文化賞(1961年/昭和36年)、ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞(1973年/昭和48年)等を受賞しました。
1974年(昭和49年)、原発性肝ガンのため死去、享年55歳。青春時代に戦争を体験し、「世界中の子ども みんなに平和としあわせを」と願い、子どもを生涯のテーマとして描き続けた画家でした。

くわしい経歴などはこちら
https://www.chihiro.jp/about/

ちひろの母文江 近影ちひろを抱く母文江 1919年2月
ちひろの母、文江
いわさきちひろの母、岩崎文江は長野県松本市の出身。1913年(大正2年)に奈良女子高等師範学校を卒業すると、開校されたばかりの(福井県)武生町立実科高等女学校に教師として赴任し、女子教育向上に尽力しました。1918年(大正7年)春、長野県出身の建築技師であった倉科正勝と結婚しましたが、その後も単身、武生で教師を続けました。当初は同校寄宿舎の舎監をしていましたが、ちひろを身ごもり、この家の離れを借りて出産しました。当時、この家の持ち主は質・古着商をしていたと伝えられています。ちひろが誕生した翌年の3月、ちひろを抱いて夫の待つ東京に移り住みます。その後は東京府立第六高等女学校の教師などを務め、1977年(昭和52年)に86歳の生涯を終えました。
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